山さんの刑事部屋

罪果

登場人物

宗像(四二)葬式帰りの男性。

綾乃(二二)葬式を欠席した女性。





●無人駅・午後
   雨上がりの山間の無人駅。
   上りホームにある待合室。
   薄暗い屋内と窓の緑のコントラスト。
   一人ベンチで手持無沙汰の宗像。
   黒いスーツ姿でジャックナイフを弄ぶ。
   乾ききらない上着の右袖に鉤裂き。
   煩いくらいの油蝉の合唱が急に止まる。
   顔を上げた宗像の目に入口の人影。
   黒いスーツの綾乃、逆光を背負って。
   宗像の手元を見て立ち竦む。
宗像「失礼、余りに暇だったから」
   慌ててナイフを上着のポケットに。
宗像「中の方が涼しいよ」
   綾乃、恐る恐る離れたベンチへ。
   気まずい時間が流れる。
綾乃「あの・・・」
宗像「はい」(虚を突かれて)
綾乃「煙草、いいですか?」
宗像「ご遠慮なく」
   バッグから外国煙草とマッチ。
   宗像に一本勧める仕草。
宗像「僕は結構。こっち専門なんだ」
   ミントタブレットを振る宗像。
   慣れた手つきで火を点ける綾乃。
   幼い顔立ちながら成熟した雰囲気。
   宗像、思わず目を奪われて。
綾乃「私に何か?」
宗像「あ・・・いや・・・煙草、そう煙草。
 珍しい香りだなと思って」
綾乃「檸檬のフレーバーなんです」
   綾乃、少し和んだ表情。
宗像「ああ確かに。あなたのような若い女性
 にぴったりの爽やかな香りだ」
綾乃「好きじゃなかった、昔は」
宗像「時間と共に好みが変わったってこと?
 僕も昔は茄子が苦手だったけど今は・・・」
綾乃「そういうのとは違うかな」(遮って)
   綾乃、細い煙を悼むように吐き出す。
綾乃「この香りを好きな人がいて、腐れ縁」
宗像「・・・なるほど」
   気まずい時間、再び。
   宗像、立ち上がって時刻表を確認。
   さも初めてのようなふりをして。
宗像「遅いなあ・・・」
綾乃「遅れてるんですか?」
   いつの間にか喫い終わっている綾乃。
宗像「いや、オンタイムだと思うけど。時間
 の経つのが妙に遅く感じる」
綾乃「途中で抜けられたんですか」
宗像「え?」
綾乃「お葬式。正木さんのお宅。あなた参列
 なさっていたんでしょう?」
   綾乃の謎めいた笑みに向き直る宗像。
宗像「こりゃ驚いた、と言いたいがこの恰好
 でこの駅に居れば、ね」
綾乃「喪服で登山する趣味でも無い限りは」
   少し距離を縮めて掛ける宗像。
宗像「そちらは出棺まで?」
綾乃「最初から行かなかったの」
宗像「ほお」
   身を乗り出す宗像。
綾乃「そんなに面白い話でもないですよ」
宗像「これは失敬。職業病で」
綾乃「カウンセラー? それとも作家とか」
宗像「ご想像にお任せするよ」
綾乃「想像を巡らせるほど興味は無いけど」
宗像「おっと痛烈」
   宗像、幇間のように額をピシャリ。
綾乃「そうだ、いいこと思いついた」
   バッグを探って無花果の実を取り出す。
綾乃「時間潰しにゲームをしませんか?」

●同・承前
   同じベンチに並んで掛ける宗像と綾乃。
   二人の間に置かれた青い無花果。
   綾乃が握る二本のマッチ棒。
   宗像が抜いた軸の先には赤い頭薬。
   綾乃の手に残った方は軸のみ。
宗像「電車が来るまで?」
綾乃「そう。これを持って」
   宗像の手に無花果を押しつける。
宗像「さてと。そうだな・・・。他愛のない
 ことでも構わないかな」
綾乃「負けても良いなら」
宗像「・・・蓑虫。冬になると目につく奴を
 枝から全部毟っては、蓑を剥がして丸裸に
 していた。その後幼虫をどう始末したかは
 覚えてないなあ」
綾乃「まあ残酷」
   可愛らしく呆れて無花果を取る綾乃。
綾乃「兄の虫籠にこっそりカマキリを入れた
 ことがあるわ。勿論、どんな結果になるか
 薄々分かった上で。次の朝バッタは・・・
 言うまでもないですよね」
宗像「恐るべき『虫めづる姫君』だ」
綾乃「未必の故意ですから」
宗像「明確な殺意とも取れる」
   無花果を取り返す宗像。
宗像「小学生の頃、好意を持っていた女子の
 林間学習の写真を掲示スペースから盗んだ
 ことがあったっけ。後から怖くなって土に
 埋めたけど」
綾乃「燃やしちゃえばよかったのに」
宗像「最低限の紳士的配慮だったんじゃない
 かな。燃やすと彼女に不吉なことが起こり
 そうだし」
綾乃「埋める前に、小さな紳士は写真を何に
 使ったの?」
宗像「それは想像しないでほしいな」
   無花果と発言権、綾乃に移る。
綾乃「私はもう少し最近のことを。中学二年
 の時の話」
宗像「三年前くらい?」
綾乃「いやな人。今の私が幼稚ってこと?」
宗像「喪服より制服が似合いそうなんて軽々
 には言えないでしょ、このご時世じゃ」
綾乃「ほぼ言ってますよね。まあいいけど」
   無花果を愛撫するような指先。
綾乃「ある朝、ロッカーに匿名のラブレター。
 想いは吐き出してしまいたいけど結果は知
 りたくないっていう卑怯な一撃離脱戦法」
宗像「シュレディンガーの恋文、か」
綾乃「上手く言えてないですから」
宗像「これで2アウト」
   宗像、また額をピシャリ。
綾乃「忘れ物置き場に貼り出してやったの」
   一瞬硬直する宗像。
   震えそうな声を手なずけるように。
宗像「・・・それは反則では?」
綾乃「相手が最初からルール違反してるので、
 おあいこ」
   宗像、無花果を取ろうとして。
   綾乃の柔らかい指先に手が触れる。
   不意に見つめ合う二人。
   先に視線を外した綾乃。
   宗像の袖に目を落として。
綾乃「グッショリ。それに破れてる」
宗像「駅まであと少しというところで雨がね。
 慌てて走り込んだ時、どこかで引っ掛けた
 かな」
綾乃「良ければ私が。脱いでください」
   バッグから裁縫セットを取り出して。
宗像「大丈夫、あとは帰るだけだから」
   頑なに上着を脱ごうとしない宗像。
   無理に話題を変えるように。
宗像「あなたは運が良かったみたいだ。全く
 濡れていない」
綾乃「・・・そうね」
   引っ込みのつかない裁縫セット。
   無駄に針の整理を始める綾乃。
   宗像、無花果を硬球のように弄びつつ。
宗像「次は僕の番。ぼちぼち鮮度の高い話に
 しようかな」
   無花果、天井に舞っては掌に着地。
宗像「これまた恋の話。人妻に懸想して人の
 道を踏み外しかけた話」
綾乃「『かけた』だけなのに罪?」
   綾乃、針を一本取り落とす。
宗像「既婚者を愛すること自体、罪とする人
 が大多数。残念ながら」
   無花果を落としかけるもキャッチ。
宗像「既婚者と言っても、結婚前から想いを
 寄せていたんだ、こっちは」
   毛羽立った感情が顔を出す。
   針探しに気を取られる綾乃。
綾乃「暗くて見えない・・・」
宗像「右足の先、そこ、目地に嵌ってる」
   針を見つけて拾い上げる綾乃。
綾乃「腰を折ってごめんなさい」
宗像「お気遣い無用。それほど意気込むよう
 な内容でもないから」
綾乃「機嫌直して」
宗像「機嫌なんて・・・まあいいか。結局は
 僕が意気地なしだったってだけ。幼馴染の
 間柄でチャンスは腐るほどあったのにね」
綾乃「伝えなかったんですか?」
宗像「伝えようとはしたけど・・・あなたが
 言うところの一撃離脱戦法ってやつ」
綾乃「どうして男の人って・・・」
宗像「苦い後味より甘い感傷を抱えていたい、
 たぶんそんな理由なんじゃないかな」
   綾乃、裁縫セットを片付ける。
綾乃「続けて」
宗像「そのまま疎遠に。風の便りで二十も上
 の富豪と結婚したと知ったのは大学を出た
 ばかりの頃だった。完全に縁が切れたもの
 と思っていたが一年前、急に便りが来て」
綾乃「メロドラマみたいに再会?」
宗像「まさか。そんな度胸があれば今こんな
 場所にはいないよ。でも、暫く他愛のない
 やり取りは続いた。まるで中学生に戻った
 みたいな浮かれようだったな」
綾乃「今のところ罪の無いお話だけど」
宗像「そのうち彼女からの文面が穏やかじゃ
 なくなってね。最初は結婚生活の空虚さを
 嘆くだけだったけど、次第に旦那への不信
 が露わになってきた」
綾乃「所詮はお金のための結婚」
宗像「お互いに愛が有ったのか今となっては
 判らない。でも、とにかく酷い旦那だった。
 調べれば調べるほど芋づる式に醜悪な噂が。
 一体何人の若い娘が毒牙にかけられたか」
   宗像、ちらりと綾乃を窺う。
   整った横顔に動揺の徴は見られない。
宗像「もしかしたら彼女は僕の職業を知って
 いたのかも知れないな。それでSOSを」
綾乃「もっと前から・・・」
宗像「え?」
綾乃「もっと前からだった可能性は無いの?
 たとえば結婚する前とか・・・」
   綾乃、無花果を奪って立ち上がる。
   逍遥する後ろ姿から漂う幽艶。
綾乃「続けて」
宗像「でも、無花果は君が持ってる」
綾乃「構わないから」
宗像「・・・彼女が今の境遇から抜け出した
 がっているのは明白だった。問題は手段だ。
 僕に何をして欲しかったのか。本心を測り
 かねて行動に移せないまま今日まで来た」
   待合室の対角線上に佇む綾乃。
綾乃「私の罪は、無花果を盗んだこと」
宗像「・・・・・・」
綾乃「この実だけじゃないわ。生っていた実
 を全部。あなたが蓑虫を毟ったみたいに、
 手当たり次第に捥いだの」
宗像「・・・・・・」
綾乃「腹立たしかったの。当てつけみたいに
 庭に植えたあの人が。エデンの園のつもり
 なのかしら。追放されるべきなのはあの人
 なのにね」
宗像「・・・・・・」
綾乃「捥いだ実は小川に流した。この一つを
 残して・・・」
   いつの間にか目の前に綾乃。
宗像「僕の罪は・・・」
綾乃「ポケットの中に」
   宗像、ポケットからジャックナイフ。
綾乃「そっちじゃないでしょ」
   ポケットから小さなジッパー袋。
   白髪交じりの髪束が中に。
宗像「・・・結局、間に合わなかったんだ。
 僕が動く時はいつも手遅れ。これも職業病
 なのかもな」
   宗像、視線を袋からナイフに。
宗像「これで一思いにやればよかった。棺の
 横で勝ち誇った顔した老いぼれを」
綾乃「でもそうしなかった。代わりに犯した
 罪は誰も咎めないわ」
宗像「あいつの目を盗んで久々に見た彼女の
 顔は何だかよそよそしくて。あれ、こんな
 顔だったかなって、悲しみより先に間抜け
 な違和感が頭をよぎって」
綾乃「だってあなたは知らないもの。二十代
 の彼女も三十代の彼女も」
宗像「せめて僕が動いた証に、ナイフを別の
 ことに使った・・・」
綾乃「あの棺、細工が粗くて。ちょうど顔の
 辺りの縁がささくれていたの」
   項垂れた宗像の上に落ちる影。
   顔を上げた宗像の唇を綾乃が塞ぐ。
   宗教画のような接吻に蜩のエレジー。
   唇を離した綾乃の切なげな微笑。
綾乃「私のもうひとつの罪。あなたの人生に
 かけた呪い。今、解いてあげる」

●同・承前
   電話が鳴っている。
   宗像、自分の掌に視線。
   ナイフでもなく袋でもなく無花果が。
   待ち針が刺さり白い血を流している。
   待合室を見回す宗像。
   切符売場の隅に赤電話。
   鳴りやむ前に駆け寄って。
   取った受話器から綾乃の声。
綾乃(声)「あなたの罪は返してもらったわ。
 未練を残すといけないもの。無花果で我慢
 してね」
宗像「待ってくれ・・・」
綾乃(声)「私、もう行くね。待ちくたびれ
 ちゃったわ・・・」
   電話の向こうから金属の軋る音。
   宗像、受話器を放り出し改札へ。
   跨線橋を渡った下りホームに気動車。
   今しも発車のベルが鳴る。
   無人の改札を突破する宗像。
   その目の前で動き出す気動車。
   宗像、線路に飛び降りて追いかける。
   運命を引き留めるように両手を振って。
   夕闇に遠くなる一両編成の影。
   力尽きて膝を折る宗像。
   線路に突いた両腕。
   綺麗に繕われた鉤裂きの痕。
   枕木と砂利を濡らす雫。
   いつまでも蜩が泣いている。





                   了


© Rakuten Group, Inc.